福岡の通信制高等学校。不登校者・中途退学者のための駿台甲府高等学校の資格が修得できるサポート校です。

平成28年度 高校卒業率100% 進学・就職率85%

HOME

サイトマップ

ご相談・お問い合わせは092-433-0451

Pagetop

本学院からのお知らせ

保護者の声を更新しました。

卒業生 保護者からの声

『息子が翔学館を卒業するまで』
 
 

私と息子との出会いは、
私の仕事先に息子が生れて直ぐ寝かされており、
時々面倒を見たことが始まりでした。
 

実の母は、簡単にいうと育児放棄、
そのため小学1年生の2学期から
私と息子との
二人の生活が始まりましました。
 

私は、息子のことが可愛くて愛おしくて、
シングルマザーの生活は大変ではありましたが、
息子のお陰で父兄の方々や地域の方々との
関係も生まれ、
毎日とても充実して過ごしておりました。
 

息子も明るくやんちゃで、
時に友達をなぐって謝りに行ったことも
何度かありましたが、
これといって大きな問題は
ないかのように私には思われました。
 

中学に入る頃になると、
やんちゃなだけの息子ではなく、
さまざまなことを意識し考えるようになっていました。
中学の1学期の授業参観の時だったか、
休み時間の時の息子の態度に、
「おやっ?」と感じるものがありました。
普通にお友達と話しているようでしたが、
私には息子が何か馴染んでいないという
違和感を覚えました。
 

2学期に入り、給食時間に班の子たちと
もめたことから、身体の調子が悪いと学校を休みました。
2日続けて休んだ時に、
学校の先生から3日目は何が何でも連れてきてください。
多くの生徒がこの3日目を超えると
ずるずると不登校になると聞きましたが、
私の息子に限ってと、重く受け止めていませんでした。
 

しかし、事態は先生の言う通りになっていきました。
当初私は引っ張ってでも息子を学校に行かせようとしたり、
あの手この手を使いましたが、
息子は腹痛、嘔吐、頭痛と様々な身体に症状を起こしていました。
病院にも行きましたが、
何の解決策は見つからないまま、中学を卒業してしまいました。
 

昔から自転車が好きな子でしたから、
福岡の実家の近くにある自転車部がある高校に
入学することを息子とも相談し決めました。
東京から福岡へ移転は、
大きな決断ではありましたが、
私の仕事、母の介護、息子の不登校ということが、
すべてを福岡へ向いている気がして決断しました。
 

無事高校への入学が決まり、
心機一転、新たなる生活が始まると、
希望で満ち溢れていました。
 

しかし、高校が始まり1週間をした頃、
突然息子は高校を辞めると行ってきました。
母は怒るし、私は泣きだすしで、
入学を喜んだのは束の間、
奈落の底に落とされたようでした。
 

高校の先生は、サポート校を併用しながら
学校を続けるようにとアドバイスを頂きましたが、
本人が二度とその高校には戻らないという
意思が強く思われましたので、
1か月で高校を辞めることになりました。
 

 さあ、これからどうしようか、です。
 

丁度その頃、義兄から牛島先生を紹介していただき、
翔学館にお世話になることになりました。
入った当初は週に3~4日自転車で通って、
英語も学びたいなんて前向きでしたが、
結局レポート提出期限やスクーリングで
最低限行かなければならない時以外は、
学校へは行きませんでした。

 

日々、自転車かパソコンばかりしていました。
アルバイトもしたいといって、
自転車での配達、コンビニとやってみましたが、
どれも3日で辞めてきました。

古い考え方を持つ私の母(90歳)には、
到底理解できず、家庭でもギクシャクし、
近くのアパートで一人暮らしもしました。
また、2年生の夏には、
東京の自転車屋さんでアルバイトをして暮らすと言い出し、
半年間過ごしましたが福岡に戻ってきました。
 

東京から戻ってきて少し変わったかなとも
思いましたが、生活は相変わらずでした。
 

牛島先生、川原先生から何度となく、
「待つことです。高校を卒業する頃になると
自分で動くようになるから、待ちましょう」
と言われましたが、私はいらいらしたり、
怒ったりしましたし、
これからの息子の将来を考えると、
とても不安に駆られました。

 

しかし私以上に本人も悩んでいたのです。
毎週のように牛島先生に個人カウンセリングをお願いしたり、
この状態を乗り越えたいと考えているのは知っていましたが、
それを実際、行動として見せてはくれませんでした。
 

そして、高校卒業を間近にした去年の末位から、
東京のデザイン専門学校へいくと言い出しました。
今までの彼の生活を考えると、
私にはとても賛成できるものではありませんでしたが、
条件を付けで承諾することにしました。
東京の学校へ行くのであれば、
東京行の片道切符だけ出してあげるから、
後は独りでやりなさいと。
 

酷だとも思いました。
けれど彼を自立させるためには、
これしかないと。
牛島先生、川原先生にも
ずいぶん相談にのっていただき決断しました。
 

そして、東京での住まいも決まり、彼は旅立って行きました。
大変なのは、これからです。
でも自分で決めた道だから、乗り越えてほしいです。
 

子供は親の所有物ではない、
子供が自立するためにサポートすることが、
親の役割ではないのかと、私自身、学びの日々は続きます。
 

                                   野田 幸子