福岡の通信制高等学校。不登校者・中途退学者のための駿台甲府高等学校の資格が修得できるサポート校です。

平成28年度 高校卒業率100% 進学・就職率85%

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卒業生のメッセージ・保護者からの声

卒業生の保護者の方々からのご感想

平成31年3月卒業 楠本さん

『卒業にあたって』
 
色々な事が重なり、中学3年生の三学期に不登校になりました。
一応、普通高校も合格しましたが、
本人も行きたくない、親もやりたくない学校だったため、
通信制高校を探す事とになりました。
 
母の友人等、経験者の話を参考にインターネットで探しました。
まず福岡で受講できる学校をピックアップし、
本人の意向も聞きながら駿台甲府高校のサポート校である福岡翔学館高等学院に決めました。
 
先生方もとても優しく寛大で、引っ込み思案な息子を受け入れて下さり、
母との面談でも親身になって話を聞いて下さいました。
 
初めは昼夜逆転していましたので、夕方に少しだけ母子登校していましたが、
段々と一人で登校できるようになり、進学が推薦で決まってからはアルバイトも出来るようになりました。
 
川原先生の「18歳になる頃には大体大丈夫になりますよ。」という言葉を聞いて半信半疑でしたが、
実際に18歳になる少し前くらいには、本当に「あまり心配しなくても大丈夫かな。」と思えるようになりました。
 
入学した頃は不安と心配しかなく、この子は一体どうなるのだろうかと思っていました。
しかし、先生方の励ましと適切な指導により卒業後も本人の好きなデザイン系の専門学校に行く事が決まりました。
 
3年間はあっという間でしたが、とっても大切な時間だったと思います。
最後になりましたが、駿台甲府高校のお世話になった先生方、
そして福岡翔学館高等学院の世院生方、本当にありがとうございました。
–2019.3
 

平成29年3月卒業   野田幸子さん

野田幸子さん

『息子が翔学館を卒業するまで』

私と息子との出会いは、私の仕事先に息子が生れて直ぐ寝かされており、
時々面倒を見たことが始まりでした。
実の母は、簡単にいうと育児放棄、
そのため小学1年生の2学期から私と息子との二人の生活が始まりましました。
私は、息子のことが可愛くて愛おしくて、シングルマザーの生活は大変ではありましたが、
息子のお陰で父兄の方々や地域の方々との関係も生まれ、毎日とても充実して過ごしておりました。
息子も明るくやんちゃで、時に友達をなぐって謝りに行ったことも何度かありましたが、
これといって大きな問題はないかのように私には思われました。

中学に入る頃になると、やんちゃなだけの息子ではなく、
さまざまなことを意識し考えるようになっていました。
中学の1学期の授業参観の時だったか、
休み時間の時の息子の態度に、「おやっ?」と感じるものがありました。
普通にお友達と話しているようでしたが、私には息子が何か馴染んでいないという違和感を覚えました。
2学期に入り、給食時間に班の子たちともめたことから、身体の調子が悪いと学校を休みました。
2日続けて休んだ時に、学校の先生から3日目は何が何でも連れてきてください。
多くの生徒がこの3日目を超えるとずるずると不登校になると聞きましたが、
私の息子に限ってと、重く受け止めていませんでした。
しかし、事態は先生の言う通りになっていきました。
当初私は引っ張ってでも息子を学校に行かせようとしたり、
あの手この手を使いましたが、息子は腹痛、嘔吐、頭痛と様々な身体に症状を起こしていました。
病院にも行きましたが、何の解決策は見つからないまま、中学を卒業してしまいました。

昔から自転車が好きな子でしたから、
福岡の実家の近くにある自転車部がある高校に入学することを息子とも相談し決めました。
東京から福岡へ移転は、大きな決断ではありましたが、
私の仕事、母の介護、息子の不登校ということが、
すべてを福岡へ向いている気がして決断しました。

無事高校への入学が決まり、心機一転、
新たなる生活が始まると、希望で満ち溢れていました。

しかし、高校が始まり1週間をした頃、突然息子は高校を辞めると行ってきました。
母は怒るし、私は泣きだすしで、入学を喜んだのは束の間、奈落の底に落とされたようでした。
高校の先生は、サポート校を併用しながら学校を続けるようにとアドバイスを頂きましたが、
本人が二度とその高校には戻らないという意思が強く思われましたので、
1か月で高校を辞めることになりました。

さあ、これからどうしようか、です。

丁度その頃、義兄から牛島先生を紹介していただき、翔学館にお世話になることになりました。
入った当初は週に3~4日自転車で通って、英語も学びたいなんて前向きでしたが、
結局レポート提出期限やスクーリングで最低限行かなければならない時以外は、
学校へは行きませんでした。

 

日々、自転車かパソコンばかりしていました。アルバイトもしたいといって、
自転車での配達、コンビニとやってみましたが、どれも3日で辞めてきました。

古い考え方を持つ私の母(90歳)には、到底理解できず、家庭でもギクシャクし、
近くのアパートで一人暮らしもしました。
また、2年生の夏には、東京の自転車屋さんでアルバイトをして暮らすと言い出し、
半年間過ごしましたが福岡に戻ってきました。
東京から戻ってきて少し変わったかなとも思いましたが、生活は相変わらずでした。

牛島先生、川原先生から何度となく、
「待つことです。高校を卒業する頃になると自分で動くようになるから、待ちましょう」
と言われましたが、私はいらいらしたり、怒ったりしましたし、
これからの息子の将来を考えると、とても不安に駆られました。

 

しかし私以上に本人も悩んでいたのです。
毎週のように牛島先生に個人カウンセリングをお願いしたり、
この状態を乗り越えたいと考えているのは知っていましたが、
それを実際、行動として見せてはくれませんでした。
そして、高校卒業を間近にした去年の末位から、
東京のデザイン専門学校へいくと言い出しました。
今までの彼の生活を考えると、私にはとても賛成できるものではありませんでしたが、
条件を付けで承諾することにしました。

東京の学校へ行くのであれば、
東京行の片道切符だけ出してあげるから、後は独りでやりなさいと。
酷だとも思いました。
けれど彼を自立させるためには、これしかないと。

牛島先生、川原先生にもずいぶん相談にのっていただき決断しました。
そして、東京での住まいも決まり、彼は旅立って行きました。

大変なのは、これからです。でも自分で決めた道だから、乗り越えてほしいです。
子供は親の所有物ではない、子供が自立するためにサポートすることが、
親の役割ではないのかと、私自身、学びの日々は続きます。

野田 幸子

平成29年3月卒業   坂本真由美さん

坂本 真由美さん

「ここで学んでいることは、自分がやりたいこととは違う。今の学校をやめたい。」

普通高校の1年生だった次男より、突然、海外に住んでいた私のところに、
こう連絡があった時はびっくりしました。
本人の意思を尊重して、海外のインターナショナル・スクールに転入させる理由で、
次男から学校側に退学届を提出させ、次男を海外に呼び寄せました。

しかし、次男は、インターナショナル・スクールには在籍したものの、
環境に馴染めず、3日目で登校拒否になりました。
その時は、部屋に閉じこもって、手をつけられない状況でした。

その年の春、私は、一時帰国の際に私の恩師に次男の教育に関する悩みを打ち明けたところ、
直ぐに牛島先生をご紹介して下さいました。
そして翔学館高校を知ることとなり、次男を同校に連れて来ました。
その時、次男は、別の通信制高校の面接に行く予定でしたが、
川原先生と面談した結果、その場で翔学館高校への入学を即決したのです。

この課程で1年間の遅れが生じましたが、次男は、自分から進んで翔学館高校に通学して、
自分のペースに合った、無理のない学校生活を送ることができました。

私たち両親が海外に住んでいて、次男の面倒を十分にみれられない中、
川原先生と山口先生より、時には親代わりになって、次男をご指導頂きました。
両先生よりは、いつもメールで次男の状況を教えて頂いたおかげで、
私たちは海外に住んでいても安心していられたのです。

次男は、生まれは東京ですが、シンガポールやドイツなどの海外に連れ回わされ、
度重なる転校もあって、やや勉強が遅れ気味でした。
また、次男の性格や能力については、どちらかと言えば、勉強よりも芸術に向いているようでしたが、
高校にも進学しないと言っていた次男が、
翔学館高校で学んだ結果、大学へも進学したいという意思を持つようになったのです。

結局、次男は志望大学に合格することができ、
最後まで次男をご指導して頂いた翔学館高校の先生方には大変感謝しております。

次男の成長とともに私たち親が学んだことは、子供意思を良く聞いてあげること、
子供の意思を尊重すること、子供の意思を応援してあげることに尽きます。
他方、学歴一辺倒、詰め込み教育、
お仕着せのカリキュラムなどに対し強く拒絶反応を示す子供がいること、
実際に自分の子供が普通学校には馴染めず、登校拒否になり、
その結果、通信制高校に通学するという事実を受け入れるには幾分時間がかかりました。

しかし、翔学館高校で学ぶ課程で、精神的な落ち着きと余裕を取り戻し、
未来に向かって新たに歩み出した次男の様子は、私たちの不安を払拭するのに十分でした。

このような体験を得た私は、同じようなお子様の教育に悩みをお持ちである保護者の方々に対し、
自信を持って翔学館高校を推奨したいと思います。

坂本 真由美

平成28年3月卒業 M.Kさんの保護者

福岡翔学館高校との出会い

娘が高校一年生の終わり、突然学校から呼びされて、進級できない事を告げられました。
留年か転学かの選択をして下さいと。
なぜ?とか、考える暇もなく本人の意思を確認し、転学を選択しました。
通信制の高校をたくさん調べましたが、どこが良いのか、娘に合うのかわかりませんでした。
パッと頭に思い浮かんだのが、近所のお友達の娘さん。通信制の高校に転学していたのです。
急いでお友達に連絡をとり、相談しました。快く学校を紹介してくださいました。
それが、福岡翔学館高等学院との出会いです。

高校二年生から二年間、足りない単位をとりながら、娘は頑張りました。
先生方がどんな時も娘のペースに合わせてくださいました。私も学校行事に参加させて頂き、楽しかったです。
私も自分の資格の勉強を娘の学校で勉強させて頂きました。
温かい学校で勉強できるこの環境は、娘にとっても親にとってもありがたい事でした。

娘がなぜ初めの高校を辞めたのか?
これを一番理解して、親の私に教えてくれたのは、辞めた高校の先生ではなく、福岡翔学館高等学院の先生です。
もっと早くこの学校に出会いたかったと思いました。

どんな時も娘のペースで…そう言って先生方に娘の歩幅に合わせて頂き卒業を迎える事ができました。
紹介してくれた友達と、先生方に本当に感謝しています。
親も共に成長できた二年間でした。

子供はいくつになっても子供です。
親もいくつになっても親です。
親の目線をどう変えれるかがすごく大切だと思います。

不登校、学校が合わない、、いろんな悩みで通信制を選ばれる方がいると思います。
たくさんある学校の中、私は是非、福岡翔学館高等学院を訪ねて欲しいと思います。

卒業生の母より。

平成28年3月卒業 T.Hさんの保護者

転入初めは順調にいくと思ってました。
でも、そう甘くはありませんでした。
学校へは行きたいときに行く。それもできない。
そんな中、先生から
「焦らず、子どものペースに合わせて」
そして、「子どもを変えようとしても無理です。親が変わらないと」と。

今までやってきた結果が不登校。
それなら逆の気持ちで息子と接してみようと思いました。
そう思えるようになったのも、先生から私たち親によく連絡いただいたり、息子が登校しないなら・・・と
自宅に来ていただいたりと我が家の状態に合わせて取り組んでいただいたお陰です。
刺々しく暗かった息子が少しずつ穏やかになりました。
本当にありがとうございました。

最後に・・・
翔学館の先生方と出会えてこの3年間、子どもが成長したのは勿論ですが
一番学べたのは母の私でした。
心から感謝してます。

平成27年3月卒業 Y.Oさんの保護者

息子は公立高校に通っていましたが、学校が面白くないという理由で高校二年の秋に退学しました。
当たり前のように高校を卒業するものを思っていたので、
まさか我が子が…絶望と不安でいっぱいになったのを覚えています。

その後、職につきましたが長続きせず、将来のためには高卒の資格が必要だと息子を説得し、
長崎から母子ともに転居、ここ福岡翔学館で再スタートする事しました。

この二年間、決して真面目に通学したとは言えませんが、
強制せず自主性に任せる教育方針がよかったのか、
バイトと両立しながら、この度卒業を迎えることができました。

いつしか自分から自動車関連の専門学校に通いたいと口にするようになり、
この春から専門学校への入学が決まり、自分の夢に向かって
一歩前進してくれた事を大変うれしく思っています。

これも先生方が親身になってご助言、ご指導いただいたおかげだと深く感謝しております。
本当にありがとうございました。

平成25年3月卒業 A.Tさんの保護者

公立高校に通っていた2年の6月に突然「学校に行きたくない」と言いだしました。
何もわからないまま、学校に行ってほしくて毎日お弁当を作り仕事に出かけました。
毎朝起こしに行くと布団をかぶり「行きたくない」を連発し泣いていました。
それでも本人が3年生に進級したくて、どうにか2年生は終えることが出来ました。
でも3年生になると毎日教室ではなく保健室に行っていました。

カウンセリングの先生と話すと「この学校を卒業したい」と言い続けてはいましたが、
ついに6月には「卒業するのは難しいから辞めたい」と言いだしてカウンセリングの先生に相談して、
この福岡翔学館を紹介して頂きました。

栄養士になりたいという夢があったので、大学進学を希望し福岡翔学館でお世話になろうと決心しました。
同級生と卒業できるという事も大きな理由の一つです。

通い出すと、先生方のおかげで表情もかわり家庭での態度も落ち着きを取戻しました。
大学進学ではなく実務を通して調理師になる道を自分自身で決心しました。
就職先を自分でみつけて就職することが出来ました。

こういう自分の夢や、やりたい事を自分で決めることが出来たのも福岡翔学館で学ばせて頂いたからだと
思います。
「卒業おめでとう」
苦しい時、つらい事もたくさんあったけどそれを乗り越えて今、この日を迎えることが出来ました。
だからこそ喜びもひとしおです。
川原先生、先生方、本当にありがとうございました。お世話になりました。

父母より

平成25年3月卒業 H.Mさんの保護者

「娘の卒業」可愛いひとり娘のために、良かれと先回りしてしまていた私たち。
それが娘にとっては、とても重く辛いものだったと知り、悲しく、反省の日々でした。

カウンセリングを受け、福岡翔学館に入学しました。
川原先生をはじめ、先生方のきめ細かい御指導により、娘だけでなく、親も大きく成長させてもらいました。おかげ様で、高校卒業だけでなく、大学合格という大きな喜びがありました。

本当に心から感謝いたします。この御恩を胸に、これからも娘を見守っていきたいと思います。 24年度卒業生父母より 以上です。宜しくお願いいたします。

父母より

平成25年3月卒業 K.Mさんの保護者

私立の女子中学校に通っていた孫は中三年の終わり頃から
高校一年の二学期まで殆んど学校に行きませんでした。
たまに行っても教室ではなく一日中保健室で過ごす毎日でした。
朝、起きて来ると
「今日こそは学校に行けるだろう」
「学校に行って貰いたい」
そう願ってお弁当を毎日作っては学校に行けず家で食べる日々でした。
あちこちカウンセリングを受けまわってた頃、
「学校を辞めたい。」と言い出しました。学校を辞めさせたくないといつも思っていましたが
ある日カウンセラーの先生に翔学館を紹介され見学に行きました。
喫茶店の横のエレベーターから5階にある教室というか
机が3・4個並んでいるわけではなく置いてあるという感じの部屋でした。
これでも学校かしらと疑いましたが本人が気に入り、
とうとう転校という形で翔学館に入りました。
その時、同じ時期に入学した
子供達と同じ時期に「ちゃんと卒業出来ますよ!」と言われ半信半疑でした。
今迄通っていた学校を辞めてから翔学館に通いだして段々と明るくなり何からか解放されたかの様でした。
毎日、孫の顔を見て一喜一憂する毎日でしたが転校させて本当に良かったと思える日々でした。
そして本当に卒業を迎える事が出来、嬉しくもあり将来が決まらないので不安でもあり、
進学しないので淋しくもありますが
とにかく卒業おめでとう!
良く頑張りましたね!
翔学館の先生方、お世話になりまして有難うございました。

平成25年3月卒業 N.Sさんの保護者

少し遠回りして今日の日を迎えることになりましたが、
「高校卒業」と「大学合格」という二つの目標を達成することができて、まずは一安心ですね。

思い起こせば、4年前、思い悩み迷っていた時期もありましたが、
この福岡翔学館高等学院と川原先生と出会い、
ひとつの道筋を見いだせたことも今となっては良い思い出です。

その後、多くの人や仲間と出会い支えながら、一歩ずつ、時には後戻りしながらも
前に進むことができ、今日の日を迎えることができました。

特に川原先生には親身になって対処していただき、
その間、ご迷惑もおかけしましたが、感謝の気持ちでいっぱいです。

いよいよ次のステップに入りますが、これからは、自分で判断することが多くなるでしょう。
それらを一つずつ克服して、時には、この学び舎に帰ってきて、
恩師と相談しながら歩んでください。

平成25年3月卒業 H.Sさんの保護者

息子は高校二年生の一学期から遅刻や欠席がだんだん増えるようになりました
授業中も居眠りしたりして勉強もついていけなくなって、
不登校になり学校をやめて仕事したいと言うようになりました。

でも私は高校の資格はとって欲しかったので
インターネットで通信制の高校を調べていろいろ電話しました。
その結果翔学館に見学に行く事に決め若干の不安を感じながら見学に伺いました。

息子と見学に行ってみると川原先生が優しく子供の話に耳を傾けてくださっていろんな話をしてくださいました。
短い時間でしたがそのお人柄に触れて息子を預けるにあたっての不安が消えていった事を覚えています。

入学してからは先生方の寄り添いと、
励ましのおかげですっかり安心していろんな事にチャレンジ出来るようになり
大学も一般推薦で決まりました。

今は自動車学校に一人で合宿して運転免許を取りに行っています。
ここまで成長できたのも先生方のおかげです感謝しています 本当にありがとうございました。

平成24年3月卒業 Y.Kさんの保護者

振り返ってみればこの3年間は意外に早く過ぎた気がします。
中学3年の終わりで発病して高校生活は病気と共に過ごす事になりました。

しかし先生方の子どもに合った細かい指導で笑顔が戻りました。
いつも体調を気遣っていただきありがとうございます。

また学校の暖かい雰囲気と同じに子どもを見守って下さった地域の皆さんにも感謝しています。
今大学に進学が決まり喜びと不安があります。
これからも先生方には子どもが相談などお世話になると思います。よろしくお願いします。

平成24年3月卒業 S.Nさんの保護者

今年は子供が、一人暮らしを始めました。自炊・掃除・洗濯・学校・バイトと大忙しの一年だったようです…
初めは、不安と淋しさでホ-ムシックになったようですが、得る物もたくさんあったようです。
だんだんと、やれば出来るんだと…自信がついたみたいです。

何事にも、自分で乗り越える力がついたように思います。
今は、大学も決まり、大学から出された課題に取り組んでいます。

 『福岡翔学館に入学して』 平成21年度卒業生 M.Hさんの父

今年4月に山口市から福岡市に移ることとなり、子どもにとってはとっては大きなストレスであり、
また大きな変化があったと思います。
山口において母親に連れられ通信制の学校に通っており学校への通学の習慣を継続させる事を
第一に考え学校選定を考えました。

いろいろな通信制学校の説明を聞きましたが、その中で福岡翔学館高等学院は少人数制で
子ども一人ひとりを見てもらえること、授業形式の学習スタイル、特に川原先生の考え方に共感しこの学校に決めました。

4月に入学してから9ヶ月、いろいろとご迷惑をおかけした事もありましたが、
休むことなく毎日通学し学校に行く事を楽しんでいます。
10月からは母親の付き添いなしで一人で通学できるようになりました。
山口にいた時にはなかった変化で大きな進歩でもあり大きく前進できました。

先生方には子どもの話を良く聞いてもらい、またわがままも理解してもらい感謝しています。
今後も現状を維持していき、自分の事は自分ひとりで出来るようなる事、友人関係がより深くなる事、
次の目標の学校に進む為の学力をつける事など、告ぐのステップアップを期待しています。

平成21年3月卒業 D・Kさんの祖母

「17・18日はスクーリングがあるから朝8時10分博多駅集合なので、6時半には家を出ないといけないからネ」
「19・22・24日も学校に行かないといけない」と最近では明日の予定を自分から話をする様になりました。
今では仲の良い友人も出来、将来の事や進路の事を話し合ったり、
休みの日にはスタジオを借りてライブの練習をしたり有意義な日を送っています。

大学へ行きたいと明日へと続く道をやっとみつけたみたいです。
でもここまで来るのに1年半の長い道のりでした。
1年半前にはまわりの誰も信用できなくなって道を見失い一人悩み苦しんでいました。

進学校に進み期待されていた彼がここまで苦しんでいるとは想像以上で
”1年や2年遅れたって長い人生だから大丈夫よ!”と慰めるものの
どうしてやる事も出来ない日々に内心この子の人生どうなるんだろうと心配していた時、
翔学館の川原先生に出会い彼もその学校に行きたいと転校しました。

でも人間不信になった彼はなかなか学校に行けず、博多駅まで送って行ったり、
先生に毎日のように電話をしていただいたり、励ましのハガキを頂いたり、
休日に出て来て補習をしていただいたりと本当に親身になって心配して下さいました。

気長に彼に寄り添い明日への道へと導いて下さった先生方に本当に感謝しています。
これから卒業までの数ヶ月、センター試験入試などまだまだ試練が待ち受けていますが、
きっとがんばってくれると信じています。

『娘の卒業によせて』 平成21年3月卒業 S・Hさんの父

川原先生、毛利先生、大変お世話になりました。娘がやっと卒業することになりました。
ちょっとまわり道したけど、いろんなところで、色んな経験ができました。
これからの人生、様々な出会いがあり、様々な出来事があるでしょう。
しかし、福岡翔学館での学生生活はいい思い出になったと思います。
多感な青春時代、熊本、オーストラリア、福岡と生活の場所が変わり、最初に入学した学校は、
経営者も、先生も変わりどうなる事かと思い、川原先生と会いました。

「この先生なら娘をお願いできる」と感じて、お願いしてから2年あまり、
以前が目に入れると痛かった娘が、今では目に入れても痛くなくなり、昨日は2人で楽しく食事して卒業を祝いました。
卒業証書をもらった娘を見て感激して泣けてしまった60の親父です。
本当にありがとうございました。

ツッパリ娘の父

『感謝のことば』 平成19年3月卒業生K.Nさんの父

長男がお世話になりましたのは、高校2年の秋から卒業までの1年半でした。
岡山県から引っ越して来て、当初は別の私立高校に通っていたのですが、クラスに馴染めないまま休みがちの毎日でした。

そんなとき当校の存在を知り、先生方の温かい教育方針に感銘して転入させることに決めました。
体育の野外活動や丁寧な個人指導など、単位を取得しやすい工夫がされていて、
同級生とも仲良くなり楽しく通学するようになりました。
単身赴任のため月に2回しか帰宅できない私も、ようやく安心できるようになりました。

それでも、3年生になり進路が決まるまでは先生方には何度も御相談し、御心配もおかけしました。
当初志望の地元文科系学部から、関西のデザイン系学部に変更し、神戸の大学に合格することができました。

そして、感激の卒業式。父母だけでなく先生方も目を潤ませておられたのは、
生徒一人ひとりと真剣に向き合っていただいた証拠です。
このように、心配していた卒業と進学の夢が叶いましたのも、当校と先生方のお陰だと深く感謝しています。